こういうときに

Iryo2008-11-07

夏前からずっとやってきた設計協議が,ほぼ一段落した.

シミュレーションをしたり,図面を描いたり,ビデオ画像分析をしたり,兎に角いろんなことを手をかえ角度を変え繰り返してみた.いろんな人との対話を私にしては粘り強く繰り返し,いくつもある制約条件を突き崩して,押し戻されて,一喜一憂してきた.

この空間にどのようなイメージを新たにつくり出していくのか,設計思想にたちかえり,たちかえり,長い議論を断続的に続けて,うまくいかなかったことが8割くらい,四面楚歌であったり,殆ど負け続けたような気もするし,それでもまだ三合目くらいだろうが,ともかくようやく並行線からは抜け出し,半歩くらいは前進したように思う.

論文でも総合交通マスタープランでもそうだが,知的スタミナがとても重要だと思う.

風景というのは長い時間をかけてようやくこの世界に顕れるものだから,その中では多くの人間が関わりながら,最初のうちあちこち別々の方向を向いていることもある.瞬間,瞬間,流れにあるものに乗っかっていくことは難しくない.長い時間の中で一貫した態度を崩さず,風景を顕していくことは難しい.

けれど,最初は確かにバラバラでずれていたとして,しかし,だんだんひとつの方向に向けていくために,今はまだ見えない風景を思いながら,勇気付けたり,気持ちを入れ替えたりしながら,やっていくしかないのだと思ったりもした.

どういうときに人は空を見上げるのかと,しばらく忘れていたが,ああなるほど,こういうときに空とは見上げるものだった.と,ようやく久しぶりに思い出した.どうでもいい話だけれど,まあそういうことを,今日に限って思い出した.