しまなみ Early B号

深夜放送枠のナビゲート(笑)を終えた後で,ほぼ一年ぶりのEarly B号に乗って大崎下島御手洗に船で行ってきました.御手洗港は航海技術の進展によって沖乗り行路の寄港地として中世以降開かれた港です.自分で操舵してみてわかりましたが,Early B号のナビゲーション機能がないとなかなか確かに難所が続きという印象で,昔の人が紙と航海地図と計器くらいで瀬戸内海を航海していたかと思うと頭が下がります.

島に上陸すると,海からの風が細い路地を抜けて,旧い町並まで届きます.船を操舵しているとき強い風もいいのですが,夏の暑い時間に,島の中をゆるり吹き抜けていく潮風はとても気持ちよかったです.いい島だと思いました.





目黒 蛍の畦道

蛍の畦道がやってきた.

畦道の脇のたんぼの神様にお祈りをして,子供たちと一緒に田植えをした.壊れてしまった灯篭を修繕して,みんなで会場にテントをはって,人々が集まってくるのを待っていた.日がだんだん落ち始め,鬼城太鼓の大きな音が空に響き,灯篭に灯を点すころ,月が西の空から昇り始め,かすかな光が畦道の上を舞い始めた.


きてくれた人も多かった.蛍も畦道を舞うほど戻ってきた.ずっと準備を手伝ってくれた人たちに感謝したい.本当にありがとうございました.




















古河総合公園

月光桜を中心にと考えている牧野草木の森公園の設計の参考にしてもらいたいと思い立って,古河総合公園に行ってきた.


かつて,日本は沼地に葦であふれていた.古事記日本書紀の記述を読めばわかる.稲穂のある風景はどこか懐かしいけれど,万葉集の歌に詠まれたような風景ではないのだ.水田の風景は近年のものであって,利根川渡良瀬川の合流するこのあたりにも,かつてたくさんの沼があった.

そのひとつが御所沼である.御所沼なのだから,沼の畔に古河公方が館をかまえたことに由来がある.古河公方とは鎌倉から逃げ出したというと語弊があるが,足利家のことだ.利根川を挟んだこの地はなかなか攻めにくく,城は残った.

もともともは沼だったのだ.荒れる利根川渡良瀬川は無数の支流をつくり,大雨のたびに土地を悩ませつづけたものだから昭和25年.食糧難もあって,沼地は一旦水田用に埋立てられた.しかし,これを中村先生は,地形を読み込み万葉の歌にならって沼に戻した.沼地にはさまざまな生き物がやってくる.植物も豊富だ.もともととれていたじゅんさいの種は芽吹きをはじめた.

台地の西端は出入りの多い複雑な傾きとなって沼へ落ち込んでいる.丘と水と森が微妙に入り組んだ地形を生かした上で,様々な旧跡の配置を読み込み,沼地と沼地の間に素材に配慮した小さな橋をかけ,草木を生かしていくつもの小径をめぐらせた.


内藤先生と妹島さんが,ゲートの管理棟とオープンカフェの建物を設計している.内藤先生の建物は,私たちを迎える落ち着いた温かみのデザインで,木材を基調に沼地に対して水平線をつくり,まっすぐに伸びた水路を建物中央下を通して沼につなげている.駐輪場も丁寧にデザインしており,牧野富太郎植物園を想起させる設計だ.

僅か直径60mmのいくつもの細い真っ白な柱に薄い板で支えられた透明のボックスが沼地の脇におかれており,建物と周囲の景色が溶け込むようにデザインされている.テーブルも鏡面にされており,青空が覗き込むと美しく映える,妹島さんらしい空気感のある構造体が沼の脇にある姿はかわいらしくもある.

しかし,ただ,この公園の主役は沼地であり丘であって,この土地を生かすことに重きが置かれている.建物はあくまで脇役に過ぎない.木立を生かし小径を通し,丘の上にさりげないベンチをこしらえ,ただゆるりと釣りでもしながら,あたりの歴史に思いをよせるのが,この場所での正しい時間の過ごし方かもしれぬ.
[

「会わずして行かば惜しけむまくらがの古河こぐ船に君も会わぬかも」の碑が印象に残った.

山口市営Pを見に行く

Iryo2008-12-07

Ycam山口情報芸術センター)の長期ワークショップシリーズ「meeting the artist 2008」の成果発表として作成された高山さんの作品を観に行ってきた.

この作品では,私たちはまず「男」の案内で,山口市の中心アーケード商店街に設けられた「始発駅」に向かう.商店街の中の空間とは思えない,いくつもの列車が動き続ける異質な空気感の中で,私たちは「駅長」から「ダイアグラム」と「指令」を受け取った.

停車や乗換えのたびに秒刻みで様々な「指令」がツアー参加者にだされ,参加者はそれをどんどんこなしていく.乗り継ぎは繰り返され,シャッターのおりた店舗の小さな郵便受けの覗き穴,タバコ屋の奥の暗闇に響く何十人という人々の囁き,消えては通り過ぎそしてまたどこからともなく私たちの目の前に表れる「男」.

町の中に張り巡らされた細い糸を辿ったとき,舞台はアーケードから山口市営Pへ向かう.廃墟のような市営Pを永遠にぐるぐる回り続けるタクシー,細い裏路地を歩き,本屋の倉庫をすりぬけ,長いアーケードの屋上をどこまでも歩き,,そして突然特急列車が轟音をたてて,青い空の下を駆け抜ける爽快感.

複雑なものを単純化し,わかったような気になることを互いの合意とした対話が堆く積まれている.おもしろおかしいテレビプログラムだったり,あるいは演劇や田圃に置かれた野外アートを否定するつもりはない.だけど,炬燵の中でぬくぬくとしたまま,あるいはふかふかのシートに座ったまま,ただ耳障りのいいもの,ただきれいなものを眺めただけで,この世界の中のいったいどれほどの現実を私たちは理解できるだろうか.

移動するまなざしは,ときに遮断される.暗闇の中に微かな気配を探すとき,いくつもの囁きが自分の意識を研ぎ澄ましていることに気付く.細い糸は思いもよらぬ方向へとまざなしを誘い,このまちに過ぎた時間と,この場所で生きてきた人の数だけの現実が今この場所に横たわっていることをようやく知る.

ただ,,そういうことをすべて抜きにして,この演劇は十分すぎるほど単純におもしろい.ここではないどこかへ,移動するまなざしの気持ちよさ.コラボレーターの皆さんとの協同作業を下敷きに,この町らしさを読み込んだ上で出来上がった高山さんと作品に恐れ入った.

新橋から横浜まで

Iryo2008-12-05

新橋の烏森口から夜の11時杉に出発.桜木町MM21地区まで30kmを真夜中に4人で歩いた.

新橋の飲み屋で待ち合わせした後,ガード下の屋台を過ぎて浜松町.運河に沿って歩いて東京タワーをみつけた頃に灯りは落ちて泉岳寺.線路の枕木の入れ替え作業を眺めながら,品川,第一京浜,青物横丁.旧東海道に入って,深夜営業のスーパーでトマトを買って大森.平和島から蒲田を抜けてようやく多摩川.橋を渡って川崎,鶴見.でようやく横浜.空が白み始めてやっと生麦.鶴見線のガード下をくぐって子安,東神奈川,朝焼けが雲を染めあげる.市場メシを食って,ようやくパシフィコ,0915.10時間くらいかな.けっこう疲れた.でも楽しかったな.