三原村 牧野富太郎の道を歩くプロジェクト 二日目

Iryo2008-11-29

宮の川.下拵えが不十分ながらも,蟹を湯掻いてミキサーでくだき,じゃがいもの皮を向き,玉葱を微塵切りにして,蔕をとったトマトにショートパスタとコンソメをぶちこんで煮込んで素材感たっぷりな(?)スープ50人前完成.最後にお好みでプラス山茶花油少々.

カフェの準備で忙殺され,油絞りは見れず,ゆったりした時間もナッシング.しかし黒田さんや大程さん,宇佐美さんも訪れてくれて嬉しかった.大程さんの意外?なまでのセグェイの運転に驚愕.

スタッフとしての学生さんは,運転できないとか,料理したことないとか.生活体験が少ないのがアベレージであって,能動的に考えて他人の思いや動きにまで気をまわせる人はそんなにいるわけはない.だからそいうことも含めて,自分たちにできることの範囲をしっかり見極めた方がいいということである.われながら猛省を促したい.自戒.

川村さんと一緒に焼いたウバメガシ餅は美味だったな.バッファとなって,いろいろ手伝ってくれた人たちに救われた.本当にありがとうございました.

大月町 牧野富太郎の道を歩くプロジェクトの初日

Iryo2008-11-28

柏浦から山を登って芦ノ澤までみんなで歩いた.ハマラッキョウに,ツバブキ,ツリガネニンジン.歩けば知らない草木が目に入り,いい香りがするもの,食べられるもの,謂れのあるものいろいろで,そうしてますます知りたくなり,知ればますます歩きたくなる草木の不思議.

100年以上前,同じこの道を歩いた人がいた.明治14年,文明開化華やかなりし頃,東京に背を向けて,山を越え,橋を渡り川を越え,蜜蜂が舞う頃,牧野はひたすらにこの地を歩きまわった.名もなき花があれば名をつけた.その数2500.自らの新種発見も600種にのぼる.早くに両親を失くしたが不思議に笑顔の多い人だった.

旧くて大きな栴檀の巨木はただその場所で鮮やかな青色の花を5月がくれば咲かせ続けた.廃校になった小学校から,子供たちの声が消えてもうずいぶん長い時間が過ぎたのだろう.途中で雨が降り出して小学校の教室で雨宿りをした.町田さんのつくったムービーをみんなで眺め,稲垣先生の話を聞き,竹田さんや地元の人たちとたくさん話した.楽しかったな.

牧野ムービー

Iryo2008-11-08

最初絵コンテにしようと思ったが,,スクリプトを書き起こし始めた.

ダニー・ユンが「創造」という言葉について,話していると,どこかへんな気持ちになった.もともとそこに「創造」という「実存」があって「創造」という言葉を割り当てているのではなく,「創造」という言葉を,「創造的ではない」というものを識別するために使っていて,そのthresholdsは,なんというか私が思っている「創造」とはずいぶん違う.

異なるものを安易に掛け合わせる可能性がもたらすのは「新奇」であって「創造」ではない.「創造」とは結果だ.「文化」の語源がその場所において全力をつくし,最後祈るという意味のラテン語だとすればなおさらのこと「創造」とはその果てにある結果である.idealを目指すとき人は様々な選択肢をとりえるが,ゆるさとは無縁の抜き差しならぬ現実と向き合った果てに見えてくる地平がある.できる.とか.できない.は絶対評価である.自分の内に絶対評価を求める人間はあまり幸せになれないといわれたことがあるが,幸せとか幸せじゃないなんて所詮主観だろう.と思ったことがあった.のを思い出したり.

こういうときに

Iryo2008-11-07

夏前からずっとやってきた設計協議が,ほぼ一段落した.

シミュレーションをしたり,図面を描いたり,ビデオ画像分析をしたり,兎に角いろんなことを手をかえ角度を変え繰り返してみた.いろんな人との対話を私にしては粘り強く繰り返し,いくつもある制約条件を突き崩して,押し戻されて,一喜一憂してきた.

この空間にどのようなイメージを新たにつくり出していくのか,設計思想にたちかえり,たちかえり,長い議論を断続的に続けて,うまくいかなかったことが8割くらい,四面楚歌であったり,殆ど負け続けたような気もするし,それでもまだ三合目くらいだろうが,ともかくようやく並行線からは抜け出し,半歩くらいは前進したように思う.

論文でも総合交通マスタープランでもそうだが,知的スタミナがとても重要だと思う.

風景というのは長い時間をかけてようやくこの世界に顕れるものだから,その中では多くの人間が関わりながら,最初のうちあちこち別々の方向を向いていることもある.瞬間,瞬間,流れにあるものに乗っかっていくことは難しくない.長い時間の中で一貫した態度を崩さず,風景を顕していくことは難しい.

けれど,最初は確かにバラバラでずれていたとして,しかし,だんだんひとつの方向に向けていくために,今はまだ見えない風景を思いながら,勇気付けたり,気持ちを入れ替えたりしながら,やっていくしかないのだと思ったりもした.

どういうときに人は空を見上げるのかと,しばらく忘れていたが,ああなるほど,こういうときに空とは見上げるものだった.と,ようやく久しぶりに思い出した.どうでもいい話だけれど,まあそういうことを,今日に限って思い出した.

講義(水曜1限)

水曜の1限に講義をしている.朝イチで3回目くらいに休講をすると,あっという間に「なんだこの先生はやる気がないのか」的な空気が蔓延し,受講者が減ってしまう.専門科目なのに他学科の方の学生さんが多いな.
一回目は「ネットワークとは何か」について社会的ネットワークを例にとり,エイズの伝播や災害時の避難情報の伝達,北京やパリ,イスラム都市の構造を紹介してタナトスの話で時間がきれた.二回目はマラケシュのバザールの生成プロセスの話をした後,ナッシュ均衡パレート最適について鞆の浦保全を題材に話したら時間がなくなった.三回目はネットワークイメージについて,6次のネットワーク原理と過剰負荷理論の話をした後で,モザイクのサブカルチャー都市とゲットー/混成都市の話の違いについて話した.イメージマップの話を宇しようとしたらゴッホの弟テオへの手紙の話になってしまい,,なんというか,雑談が多すぎてぜんぜん講義が前に進んでいかない.

ゲーム理論を教えていると,「相手の気持ちを理論的に考えてしまうことは、その人が親しいほど切なく感じる」という感想をもらったりすることがある.主観から出発する学問を愛したのはハイエクだが,冷静に考えてみると通常の自然科学ではそういうことは少ないのかもしれない.まあでもPhisics from Youとかあるとなんだか身近なところから物理現象の意味を理解していけて楽しそうな気もする.
「クールヘッド,ウォームハート」という言葉がある.冷静な頭は必要だけど,心までそうなる必要はない.というか,その逆の人の方が寧ろ多いのかもしれないが,目の前に居る人と丁寧に向き合うことで,いろんなことを学んでいくことはそんなに悪くはないのではないかと思ってみたり.

大月-三原行(7)

Iryo2008-10-23

長い距離を歩いた.

石を見ると書いて「硯」.近くの砕石場からよい石が出た.切り出した石の目を見る.墨を溜める為の窪みとなる「海」と,磨る為の少し高い「陸」.鑿で時間をかけて丁寧に「海」と「陸」をつなぐように薄く丁寧に削り出せば,鋒鋩強く顕れ墨削る.

今この場所で,硯をつくる作業を見ることはできない.「おじいさんは手先が器用じゃった」という言葉だけが僅かに残った.



からだにしみこむように,意識が隅々までいきわたるように,そして風景は物言わぬまま静かに喪われ往く.丁寧に向き合い,読み取りたいと.無論みなの話を聞いたからといっていいものができるわけではない.けれど,聞きたいと思う.聞いてから,考えたい.そのように思う.

そして草木も蝶ですらも,しかし懸命に生きている.そのことがただ美しい.