山口市営Pを見に行く

Iryo2008-12-07

Ycam山口情報芸術センター)の長期ワークショップシリーズ「meeting the artist 2008」の成果発表として作成された高山さんの作品を観に行ってきた.

この作品では,私たちはまず「男」の案内で,山口市の中心アーケード商店街に設けられた「始発駅」に向かう.商店街の中の空間とは思えない,いくつもの列車が動き続ける異質な空気感の中で,私たちは「駅長」から「ダイアグラム」と「指令」を受け取った.

停車や乗換えのたびに秒刻みで様々な「指令」がツアー参加者にだされ,参加者はそれをどんどんこなしていく.乗り継ぎは繰り返され,シャッターのおりた店舗の小さな郵便受けの覗き穴,タバコ屋の奥の暗闇に響く何十人という人々の囁き,消えては通り過ぎそしてまたどこからともなく私たちの目の前に表れる「男」.

町の中に張り巡らされた細い糸を辿ったとき,舞台はアーケードから山口市営Pへ向かう.廃墟のような市営Pを永遠にぐるぐる回り続けるタクシー,細い裏路地を歩き,本屋の倉庫をすりぬけ,長いアーケードの屋上をどこまでも歩き,,そして突然特急列車が轟音をたてて,青い空の下を駆け抜ける爽快感.

複雑なものを単純化し,わかったような気になることを互いの合意とした対話が堆く積まれている.おもしろおかしいテレビプログラムだったり,あるいは演劇や田圃に置かれた野外アートを否定するつもりはない.だけど,炬燵の中でぬくぬくとしたまま,あるいはふかふかのシートに座ったまま,ただ耳障りのいいもの,ただきれいなものを眺めただけで,この世界の中のいったいどれほどの現実を私たちは理解できるだろうか.

移動するまなざしは,ときに遮断される.暗闇の中に微かな気配を探すとき,いくつもの囁きが自分の意識を研ぎ澄ましていることに気付く.細い糸は思いもよらぬ方向へとまざなしを誘い,このまちに過ぎた時間と,この場所で生きてきた人の数だけの現実が今この場所に横たわっていることをようやく知る.

ただ,,そういうことをすべて抜きにして,この演劇は十分すぎるほど単純におもしろい.ここではないどこかへ,移動するまなざしの気持ちよさ.コラボレーターの皆さんとの協同作業を下敷きに,この町らしさを読み込んだ上で出来上がった高山さんと作品に恐れ入った.