大月-三原行(4)

Iryo2008-10-20

夜,大月から三原村まで歩いた.ふたつの地域をつなぐということについて自分なりの感覚がほしかった.一見無駄にみえるし,実際無駄に違いない.違いはないのだが,無駄が必要なこともあるのではないかと思う.兎に角夜中に歩きたかった.夜中の12時過ぎに大月町を出て.国道沿いをずっと歩いたあと,峠越えの谷筋に沿った道に出た.真夜中の道はどこか心細く.しかし上弦の月が天頂高く,森の隙間から煌々とした光を落とす中で繁みの暗がりの中で,ぼーっと光を放つ蛍のような虫がいた.不思議な光景だった.峠を越える.朝靄の中に顕れた三原村は美しかった.

朝早くから,田圃で働いている人たちがいた.指の爪先に食い込んだ汚い泥が目に入る.生業として農業は24時間365日一生百姓であり続けるということに他ならない.自然7割,努力3割といわれるほど,天候と土地に作用される.それを生業とするとき,その土地において人間は全力を尽くし,どうしようもないとき最後に人は祈る.そのことをラテン語でcultureという.agricultureの語源である.物言わず,ただその場所でその土地と向き合っている人たちがいる.

仮眠をとった後で,宮の川を歩いた.

牧野は明治18年,東京ではじめて万博が開かれた頃に,幡多郡をくまなく歩いている.当時まだ植物の命名する権利を持たない日本は,海外の研究者にすればたいへん貴重な独自種が存在する地域であった.牧野はそのことを知ってか知らずか,三原村の宮の川から柚木を抜けて今の山から大月へといたる旅の中で多くの植物を見つけることになる.