バルセロナ行(1)

Iryo2008-09-06

成田出発.途中ロンドンヒースローでイベリア航空に乗り換え.バルセロナに居ます.

バルセロナの地名は,ローマ史上最大の敵であるカルタゴの将軍ハンニバルの父ハミルカル・バルカスにちなんでいる.

ギリシア時代からの都市バルセロナは,カルタゴ支配の後,ローマ統治の時代に築かれた城壁の中にサンジャウマ広場を中心に十字路がきられ旧市街の基礎が出来上がった.その後,西ゴートの進入,イスラム教徒の征服,フランク王国による撃退,バルセロナ伯國としての独立.一時期はかつてのカルタゴと同様に,シチリア,コルシカといった地中海の弧に沿って地域を一体的に制圧し,地域連合体カタルーニャとして当時力を誇ったカスティーリャと一体化しスペインを形成.自治権に対する意識が高いのが災いして,18世紀のスペイン王位継承戦争でブルボン王朝が一体化を進めた結果,自治権を剥奪されることになる.第二共和制の中で経済力の高まりとともに,独立の機運が高まり,フランコ政権下では一旦カタルーニャ語の使用も制限させれるが,現在はカタルーニャ自治州として自治権の拡大がなされており,その中心的な役割を担う,バルセロナ

と,,ここまで書いて,バルセロナというのはスペインのバルセロナという文脈よりもカタルーニャバルセロナなのだと,バスクの複雑な歴史は知ってはいたけれど,その対比の中でカタルーニャという彼の地をあらためて眺めてみると,海の文化や,回教徒らとの柔軟な交流体験と地中海の弧の中で生きてきた歴史は,このイベリア半島キリスト教を守り抜いたカスティーリャとは根本異なると思わせる.

日本では地域連携というと県の中での地域性や国が主導した道州制の文脈で語られることが多いけれど,複数の県をまたがった歴史性や交通ネットワークの実情を踏まえた地域連携軸の話がもう少し出てこないかと思うことは多い.日本の地中海といえばその歴史的成り立ちを踏まえても瀬戸内海ということだろうが,バルセロナではスペインという括りそのものよりも,むしろ地中海沿岸の諸都市との交流を軸に,その大きな連携軸の絵図が描かれる.

地域軸に対する柔軟な考え方はEU統合の効果といえれば言えなくもない.しかしガウディらの独自の芸術活動から内戦,自治権拡大のための政治闘争を経てなお一貫して喪われることのなかったカタルーニャの地域性の賜物であろうか.