道後温泉 駅前広場の空間設計

Iryo2008-05-23

道後温泉駅前広場の設計協議会に行ってきました.篠原先生と一緒の協議会ですが,例によって僕が会長なので居心地悪いことこの上ないという感じです.

それは兎も角,僕はずっとネットワーク上の行動モデルにずっと関心があって研究してきていますが,以前の観測技術はせいぜいアンケートか3軸のDSくらいのもので,観測のスケールがあまりにも粗い.PTのアンケートなんかだとなかなか現象を理解するというところまでいかない.どちらかというと研究者の仮説にあわせてモデルの構造を押し付けて,足りないところは誤差項εを構造化して,,という感覚がずっと続いていました.

現象を理解するところまでいかないというのは,行動の単位,要するに学会などで議論されているモデルのインプットとアウトプットの組み合わせがすごく単純で,本当はもっと空間と人(身体性に関わる部分と想念や情動に関わる部分)のインタラクションはもっと多相的であるはずなのに,そこまで切り込めないということです.

もちろん道を作る,混雑を改善するという集約され単純化した目的に対して所要時間の短縮がどう経済的効果をもたらすかということを何かの形式で示すという側面にたてば,そこまで詳しい理解は必要ないのかもしれませんが,僕はどうしてもそういうことの埒外にあることが知りたかった.知りたいという表現はなんだかナイーブな感じがするかもしれませんけど.まあともかく知りたいことがあった.一見するとゴチャゴチャした現象から非自明なシンプルネスを抽出するというような現象論に加えて,佐佐木先生がいっていたところの価値の問題をひっくるめて理解したいと思っていた.

道後温泉の駅前広場の設計に関する仕事について去年くらいから考え始めて,広場の設計などというのは日本では比較的珍しいことだと思うのですが,まず最初に思ったのは広場というのはどういう空間なんだろうかということで,その次に道後温泉に来る人はいったい何を考えて,どういう行動をして,何を感じて帰っていくのだろうかということでした.あるいはそれはずっとはるか以前.

「熟田津に船乗りせむと 月待てば 潮もかないぬ 今はこぎ出でな」

額田王三津浜のあたりで詠んだ万葉の頃から,果たして道後温泉というのものはあったという記録もあるそうですが,湯に入るっていうのはどういうことで,ミシュランの三ツ星をもらって年間500万人も訪れるような観光地の玄関口っていうのがどういう空間であるべきで,そこではどんな「価値を」体現すべきなのか.

空間を設計するためには,そこに求められている機能やその場所の持つ場所性を整理し,周囲の地物との関係性の中で空間の再配置を行う必要があると思っています.そのためには,主動線を解析して,動線上の行為のassociation rulesを明確にするということが,設計思想を明確化していく上で必要不可欠なことだと思います.

空間を設計することで身体性に関わるものを制約し,解放した上で,起こってくる想念や情動こそが,生み出される価値であり,そういうことを丁寧に理解したいと思っています.