長尾 さぬき遍路

長尾を歩きました.

さぬき遍路の終着にほど近い場所ですが,緩やかなのぼりが続いており,お遍路さんにとってはしんどい道.88番札所も近いということで思いもひとしおの道になるのではないでしょうか.まあもっともあまり関心がない人がみると,たいしたことのない何の変哲もない道に見えるのかもしれません.

地元の藤井先生の案内で県道の一本奥の旧道を歩きました.村の境界地には背の高い見上げるような4mもある地蔵があります.地蔵は普通こんな大きいものはないので,全国的にみても珍しいくらい背の高い地蔵様です.県道筋からぼんやり眺めているとわかりませんが,一本向こう側から眺めると,大きな楠があり,その下にお遍路さんが泊まれるように掃除の行き届いた太子堂があります.

なんの変哲もない田舎道ですが,なんの変哲もない田舎道というのが守っていくことが難しい時代です.ハウスメーカーの開発はいろんな家の開発を可能にしましたし,護岸工事だって安い材料ができています.瓦や建材に地元の素材を使っていくことが減りました.経済原理に任せれば当たり前のように風景は変容していきます.

豊かではなかった時代であれば普請で地元の材料を使って藁葺きの家を作っていたし,そういう一種の丁寧な合意の積み重ねが,地元の素材をもとにした連続するパターンを風景として成立させてきたはずです.

へんろサロンで藤井先生から,一心庵という場所には小豆島の庄屋の名前が刻まれており,瀬戸内からわざわざ出張接待していたとお聞きしました.現代社会であれば何のためにそんなことをやったんだろうと思う人は多いのだろうと思います.お金にもならないし,しんどいはずです.海を渡った場所でわざわざするのですから.でも,そういうものの痕跡が今も風景として残っている.そして,現代であっても,なにか思いを抱えた人たちが遍路道を同行二人の札を掲げて歩いている.

法律で作ったわけでも,お金で作ったわけでもない丁寧な合意や思いの積み重ねがつくってきた風景がある.そしてそれがだんだん壊れていっている.ややもすると,法律を作ってしまえとか,お金をいれろとか.そういう話をまちづくりの専門家の方や役所の人から聞くことも多い.でもそういうことで本当にまちや風景は再生するのでしょうか.とちょっと思っています.