誰かがこの場所に確かに何かを持ってきた

「人生において,気のしれた仲間と,すばらしい風景を眺めながら語り合うことにまさる幸せはない.だから私は焼け焦げ果てたこの場所にもう一度たち,打ちひしがれ自信も何もかも失った人々が,再び楽しく語り合うことを希んで,このような研究をしようと思ったのです」

戦後間もない頃から,私たちの研究分野を引っ張ってきた人が訥々と語る言葉には,地域活性化にはマーケティングが,とか,いやいやマネジメントが重要でしょうとか,ややもするとそいう軽々しい言葉に支配されがちな学会にはない(といっては語弊があるけれど),ともかく過剰なまでの真剣さがこもっていた.

私が,風景づくりのようなことを考えるようになって,しかし何か足りないと思い悩んでいた時期があって,その頃,彼と出会った.

「いつか誰かがこの場所に何かを持ってくる」

貧しい島で暮らしていた人々に,かつて「音楽」を教えてくれた人がいた.それからその島では,つらいことがあったり,悲しいことがあったり,楽しいことがあると,必ず歌がうたわれ,笑顔が溢れるようになった.という話がある.樹齢200年は超えようかというあの桜を見たとき,土地の精霊のようなあの桜の木にあう音がほしいと強く思った.

桜は満月の頃に,ひっそりと夜に咲く.私たちはなかなかのぼらない月の光を待ちわびていた.松明の灯りをともし,焚き火で暖をとりながら,彼のすばらしい演奏を聴いた.慎吾さんは仙九郎と一緒に,あの場所で何百年咲き続けてきた桜と向き合うように,まるでそっと聞かせるように,丁寧に音をつむいだ.

普段の彼は寡黙なひとだった.いつもはショップで店員していて,店で会ったときに,なんでパーカッションなんて楽器を選んだのかと聞くと,黙ってしばらく考えて,うーん,,なんでですかね.と言って笑った顔を今も覚えている.すべての演奏が終わった後,桜の木の下でまた来年も会いましょう.とみんなで笑って話した.それがもう叶わぬことがくやしくてならない.