夏草と大木

竹田さんをはじめとして,いろんな場所から車や飛行機を乗り継いで,何百kmの距離をものともしないで,頼んだわけでもお金でもなく,みんながなんとなく阿吽の呼吸で集まって,何かを始めよう.なんだかこいうのはいいなあ,僕は好きです.

地元の町田さん,市役所の浜崎さんもしっかりそろって,町史や古地図をみながら作戦会議.その後,車で小才角と唐岩をいきます.戦争から引き上げてきた入植者の方々が開拓した土地は,この季節むせ返るような夏草の香りがします.終戦後間もない1946年頃から,大月町は大陸からの入植者の受け入れを開始します.時代の大きなうねりに翻弄され大陸での生活に敗れ,帰国した人々がそれでも自分たちが生きていくために,この土地から新たな生活をひっそりとスタートさせました.毎日必死で荒地を耕し,糧を得ては,すこしづつ生活をたてなおし,そしてまた耕し,生半可ではない日々が繰り返しなされたはずです.終戦記念日に近いこの季節,彼らが生きてきたこの土地と歩んだこの道をみているとどこか胸に迫ってくるものがあります.秋になれば台湾から九州,豊後水道を渡ってアサギマダラがやってきます.ヒヨドリバナの蜜と,道沿いに流れる川の水を,遠い旅の途中でアサギマダラも求めるのでしょう.10月がくれば,どこまでも旅を続けていく不思議なこの蝶が海を渡ってやってきます.

栴檀は双葉より芳し」の諺で知られるセンダンの本当に大きな巨木が,夏の一番暑いこの時期に廃校になった小学校の片隅で葉を茂らせ,大きな木陰を作っていました.センダンの木は,冬になればウイスキーボンボンのような不思議な色をした実をつけ,春には薄い紫色のとても美しい花を咲かせます.廃校になったこの学校の体育館に入ると校歌の歌詞に栴檀の木という言葉をみつることができます.何人もの子供たちが,樹齢200年は越えようかというこの木を見つめて巣立っていったはずです.牧野富太郎と並ぶ明治の天才的生物学者南方熊楠は,臨終に際して天井一杯に紫の花が咲く幻を見,その花が消えてしまうから医者は呼ばないで欲しいと言ったそうです.あの天才熊楠をも魅了した栴檀の木.壮絶なまでに美しい薄紫色の花を満開に咲かせる頃,この大木の下に佇めばどんな風景が見えるでしょうか.神社裏にある木造の小学校もとても魅力的です.休憩施設などが少ない大月ではうまくリノベーションできればいい拠点になりえるかもしれません.

子供の頃,春休みだったと思うけれど,何かの本を読んでいて,その物語の主人公が長い試練を越えて再び再会した人に送った歌があって,それは「願わくは 花の下にて 春死なむ その望月の如月のころ」という歌だったのだけれど,どこかずっと印象に残っていて(後になって西行の歌だと知ったのですが)弘見の大きなふるい足摺桜をはじめてみたとき,この歌が素直に頭に思い浮かびました.農作業の節目,節目の歳時記として月の満ち欠けと桜の花の綻び具合が使われてきました.望月とは満月のことですが,来年こそは望月の頃,満開の月光桜を見ていたいです.夏のこの季節,小高い丘の上に樹齢200年を越える月光桜が夏草にかこまれるようにかわらずありどこか安心したこころもちになれました.

小林秀雄が言うように花の美しさを滔々と語ることなどにさしたる意味はありません.美しい花はただ風に吹かれてただそこに咲いています.季節が過ぎれば散り,そして冬を越えれればまた咲くのでしょう.書を捨てて旅をすれば,そのことに気付くはずです.そいう気づきの風景を,この場所でみんなで作っていきたいと思いました.