目黒 運動会

Iryo2007-09-23

目黒で運動会に参加してきました.

全校生徒が11人なので,どうなることかと思いましたが,地域の人も総出で,部落ごとにリレーをしたり,注連縄づくりをしたり,なかなかに楽しい.あなどれません.本当に楽しい運動会でした.

地域の中でみんなでやるスポーツっていうのは不思議な作用があります.別にフィットネスクラブでもいいじゃないか.という話もあろうかとは思いますが,地域スポーツというのは,そういう単純なものではないのではないかと,目黒の運動会に出てみて改めて思いました.

もちろん都会にいればフィジカルな面で運動不足になることが多いので,カーブス(http://www.curves.co.jp/)のようなサーキットトレーニング風なお手軽フィットネスクラブがあってもいいのでしょうが,ああいうのは,なんというかあまりにも味気ない.ではもうすこし考えられたものがないのかといえば,Jリーグの百年構想というプロジェクトがあります.これは芝のグラウンド整備というものw通じて,スポーツを総合的な地域文化として根付かせていこうという構想のようです.

Jリーグの百年構想のような文化プロジェクトを,地域らしい,地域に根付いた風景としてもういちど見つめなおしたときに何が見えてくるでしょうか.地域スポーツを文化として捉えなおすなら,文化の語源を辿る必要があります.cultureという語源はculture の語源:ラテン語の動詞 colere は「住む,耕す,祈る」の三つの意味をもっています.この世にあっては,耕し,人間の限界に直面したときは祈るほかない.というような意味です.地域スポーツ文化のようなことを考えたいなら,その土地その土地にあった農耕的なものとして根付かせていく必要があるのでしょう.

文化というものが本来地域に固有のものなのだとして,しかし,今の時代はそういうものがどんどん分解され消費され失われているように見えます.安倍さんの「美しい日本」というコンセプトは悪くはないコンセプトだったと私自身が思っていますが,なるほど確かに瓦解しました.選挙結果を見る限りでは,地域らしさというものへの目配り,本当の地方というものへの思いやりが欠けていたのかもしれません.

しかし一方で,美しい日本の,地域らしい風景が本当にどこにあるかと眺めてみれば,地域では,投機性の高い娯楽への執着に拍車をかけているパチンコ店やそこで生まれる債務を保証するためのサラ金が国道沿いに林立し繁盛しています.相当数の若い人々がこういうものを娯楽として楽しんでいますし,サラ金も利用されているのでしょう.粘り強さに欠ける日本サッカーの特性は確かにこういうことと全く無縁というわけではないのかもしれませんが,現実にはそういう経済行為が地域を活性化しているのが現実なのです.

こういう現実の中で,(スポーツも含めた)地域に固有の風景を維持していこうとする意味がどこにあるのか.は私たち自身がよく考えていかなかければいけないことだろうと思います.